1981(昭和56)年 バレーボールチーム として結成。
きっかけは、余部青年団が香住町のバレーボール大会に出場していて、青年団に入っていない(入れない)我々にも、
出場してみないかと声を掛けてくれ、それならばと6人を集め、余部Bチームとして数回出場していました。
バレーボールは、授業と球技大会しか経験した事がなかったのですが、そんなに難しい競技ではないとの意識からそれなりに、
対戦相手に迷惑を掛けない程度に、試合が出来るようになったなと、勝手ながら思えるようになった頃の、1981年春の大会。
元実業団や大学までクラブに所属していた人達が集まった、おじさんチームが相手。勝ち負けを考える以前の話です。
それなりにも通用しない、でも何とか、と思っていたその試合中に見た・された態度が結成するきっかけとなりました。
サーブやアタックなどで、自分たちのコートにボールが入るまではジャージのポケットに両手を入れ、ボールが入れば手を出す。
そのレシーブしたボールが来るまで、セッターも同じ態度。そしてトスが上がり、アタックを決められ、我々はボロ負け。
試合開始からそんな態度だったので、下手ながらも一生懸命やろうと思う気持ちは途中から勿論無くなり、当然腹が立ち、
そして我々の不甲斐の無さに情けなくなる。情けないですよ、ポケットから常に手を出させることが出来なかったのですから。
バレーボールは上手くなると、そんな態度で自慢したくなる競技なのかとか、しょうもない競技だなとも思いました。
そんな試合を経験し、その後数日間考えて出した結論が、上手くなってチームを作り、あいつらに勝ってやろうでした。
上手くなるにはどうするか。練習するしかありません。練習しても試合に出るには6人必要。練習試合には12人。
よって人集め開始。 バレーボールを真面目に練習してくれそうな友人・知人、人づてに見知らぬ人にも声を掛けまくり、
それと同時に体育館探し。 高校時代の先生にお願いして、香住高校の体育館を使わせていただける事になり一安心。
1981(昭和56)年の6月頃、男女合わせ15名程度で、曜日は忘れましたが週一度、夜の8時から練習開始。
してみると、元々苦手な人はやはり苦手。それと自家用車を持っているか、送り迎えが必要かなど、いつも全員が揃わなく、
今振り返ってもまともに練習出来たかどうか? 試合の時だけ6人集まるよりはましな程度だったかも知れません。
でも10人前後は来ていたので、練習方法も知らない連中の集まりでしたが、とにかく一切ふざけずやりました。
そして上手くなったならないは別にして、その年の秋の大会に出場することになり、そうなると気になるのがあのチーム。
大会関係者に聞くと参加しないとの事。(以後見た事も聞いた事も無し) 正直数ヶ月で、どうでもいい存在になっていましたが。
そんな事よりチーム名。 余部の住人だけの時は余部Bで良かったのですが、香住町各地の住人が集まったチーム。
何にしようか深く考えず、全員に相談することもなく単純に思い付いた名前が、経験者が誰一人いなくて、下手くその集まり。
クラブ活動で例えると、レギュラーではなく 「補欠」だな。「補欠」の集まりだなと言うことで、チーム名を「補欠」「ほけつ」に決定。
その時出場した大会の結果は全く記憶にないのですが、何はともあれ「補欠」のデビューです。
その後しばらくの間、バレーボールはもちろん、バスケットなどの大会に出た時、たまに言われていたのは、
『どのチームだ?』と問われ、『補欠』と答えると、『どのチームの補欠だ?』と再度問われ、『チーム名が補欠』だと説明すると、
少し間が開いた後納得。『ややこしい名前を付けるな』と言われた事もありましたが、「補欠」は「補欠」です。
名前が定着すれば誰もが何の違和感もなく呼んでくれます。 「補欠」と言えば我々です。
ちなみに「HOKETU CLUB」は、1993(平成5)年に県大会(9人制)に出場しようと思いつき、その為に必要な手続き、
日本・兵庫県・但馬の各バレーボール協会に登録する際、格好を付けてローマ字や英語を使って表記しただけの事です。
この時以降に参加してくれた人や、他の行事等で出会った人達は、「ホケツクラブ」と呼んでくれますが、やはり「ホケツ」です。
翌年、お世話になった先生の転勤により練習場所を、香住第一中学校体育館、月曜日の午後8時からに変更。
予想通り、人が集まらなくなったこの頃のルールは、一人で30分待って誰も来なければ帰る。二人ならパス練習を1時間。
本気で上手くなりたいと思っていたので、後輩の元バレーボール部員に『教えてくれ!』と頼んで、少人数でも2時間練習。
一番難しかったフライングレシーブは、あごを割りながらも頑張った結果、何とか出来るようになり大喜び。
一年間そんな練習ばかりしていて改めて気付いた事は、団体競技なので、やはり大勢の人が集まらないと楽しくない!
上手くなりたいだけの思いは2年で挫折。方針転換。
それが今も続けている「補欠」の基本方針。
【年齢性別関係なく楽しくバレーボールしましょう!そして飲みましょう!】 です。
この方針に変えてからは、経験の有無、したい・したくない、知り合い・知らない人、男性・女性、社会人・学生など関係なく、
来てくれれば儲けみたいな気持ちで、それまで以上に色んな場所で沢山の人に声掛けまくりを再開。
これがきっかけで来てくれた人や長井青年団、噂を聞いた人達も参加してくれ、とても賑やかで楽しい練習風景となりました。
同じ場所で同じスポーツをしているのに、上手い下手・年齢性別など関係ありません。全員が楽しまないと!
1986(昭和61)年 6月、香住B&G体育館完成以降、毎週金曜日午後8時からに変更。
この数年後に一度、『バレーボールしてなければ、ただのオッチャンだのに』と言われた事があります。確かにその通りです。
バレーボールをしていたからこそ、多くの人達と知り合う事が出来たのです。
何の接点も無かったであろう人達とも知り合えたり、この集まりを気に入ってくれた人が、友達を誘って来てくれたりしながら、
今までに、二百名近い方々が練習に、そして試合に参加してくれました。
町内の大会に「補欠」の名前で何チームも出場出来た事は、今でも良い想い出です。
もちろん良い想い出ばかりではなく、人と人との付き合いなので、良い事・悪い?事、色んな出来事が起こりました。
今後も多分、同様の出来事に何度も遭遇するのでしょうが、そんな事を繰り返しながら、これからも続けて行きます。
「継続は力なり」なのですが、本当に何かの力になっているかどうか、まだ分かりません。
年齢層も上がり、おじさん達と一緒に遊んでくれる若者も少なくなり、練習の参加人数も減ってしまいましたが、
何より寂しいのは、県の大会から遠ざかっている事。弱いチームで一回戦負けの常連ですが、復活したい。若者よ集まれ。
今はメンバーの家族も増え、各行事になると数十名が参加します。野球の大会にも参加し、一言、『肉!』と言えば大勢の人。
バレーボール以外は大賑わい。
そして何よりここ近年で一番変わったのは、やっと芽生えてくれた「ファミリー」であるとの意識です。大家族です!
基本方針をバレーボール同様全ての行事に適用し、大人から子供まで全員が楽しめるように心がけています。
とりあえずは今の関係を維持しつつ、理解してもらえる人の参加を募りながら、家族を増やしていきたいと思っているのですが、
どうなる事やら。
2010 平成22年 6月
子供達も大人になり、それぞれ都会で暮らし始め、周りの環境が変わりました。
口コミで学生達がバレーボールをしに来てくれているのですが、いつまで?
地元に残る若者がいれば今後の活動目標を決められるのですが、残りません。
我々の年齢が年齢なのと、意志を引き継いでくれる若者が現れるか否か。
そんな無駄な事を考えるより、もうそろそろ・・・・・。
2016 平成28年 10月
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